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トンネルの思い出【羽後交通・横荘線11】 [白兎鉄子の部屋]

みなしゃま ごきげんいかがでしゅか? 白兎鉄子でごじゃいましゅ♪

もぅ…二兎丸ったら、東京帰るのが間近に迫ったものだから
連日“山行き”が忙しいみたいで、このまま続きのupが遅れたら         
またこの前みたいに
でめさんうさだ200908211013000.jpg   ∩ ∩
鉄子怒られちゃうぢゃないの~っっ! プンスカ(>ω<)ノ゛

コホン…のっけから大声出してごめんなしゃいね。
しゃて気を取り直しまして、
本日も、“羽後交通・横荘線”のお話をいたしたいと思いましゅ。
今回はいよいよ峠を越えて、旧・由利郡東由利町に入りましゅよ。

 今回の記事が初めの方は、
 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、
 とてもありがたく思いましゅ。
    
画像と記事の内容は2007年6月の取材時点のものでしゅ。
      記事にして公開するのが遅くてごめんなしゃいm(__)m
  最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』

では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡


二井山から山中を抜けてきた道は、もうすぐ出羽丘陵の分水嶺、
旧・平鹿郡(横手市)と旧・由利郡(由利本荘市)の郡境にさしかかります。

   3120111
郡境の手前から二井山方向を振り返ると、
今でも林の奥から汽車が走って来そうな気が…。

ここから老方に向かうとすぐ、郡境のトンネル・浮蓋トンネルが出現。
   3120113
トンネルの手前から再び舗装が…。ここから先、老方まではずっと舗装路。

   3120115
中に入って振り返ると、ここが分水嶺になっていて、二井山に向って下り坂。
二井山からの平均勾配25パーミルの険しい上りはここで終わり、
この先は老方までは、逆に25パーミルの下り坂。

   3120114
浮蓋トンネルは向こうが見通せる真っ直ぐなトンネル。
短く見えるけれど、金屋トンネルの倍近い140mの長さがあります。


   3120116
中は全体が金属の被覆で補修されています。
鉄道のトンネルだったので高さはあるけど、幅は車一台がやっと通れるくらい。

以前初めて探検(?)してきた時は、まだこの被覆はなくて、
トンネル内部は、確か…まるで手掘りのような
ゴツゴツした壁だったような記憶があります。
足元は路盤がそのままみたいな砂利道で、その上、デコボコした壁だったので、
向こうが見えない暗い夜道を恐る恐る通ったのは遠い昔。

 

こちらが老方側出口↓。
   3120117 3120118
入口部分はどちらも前記事の金屋トンネルと同様の補修がされています。
推測ですが、抗口は斜めにコンクリートがかぶされた感じで、(左写真)
竣工当時は二井山トンネルの抗口のような状態だったのでは??
(コンクリートの状態とか80年前にしてはなんとなくだけど綺麗だし…)

このトンネルを抜けてすぐに右方向に入っていく道があり、
その先が由利郡に入って最初の集落・浮蓋集落です。
現在は廃村で、三軒ほどの廃屋跡があるだけ。
横荘線も通っていなかった昔は、浮蓋集落から山の反対側の
平鹿郡(現横手市)大森町武道に抜ける山道があって、
人々は歩いて山越えをして行き来していたようですが、
廃村になってしまった現在、その道は自然に還って失われてしまいました。

 冬は老方側から、浮蓋トンネルの手前まで除雪車が入っていましたが、
 現在は浮蓋集落が廃村のため、もしかすると、ここまでは除雪車が
 入っていないかもしれないです。

このシリーズの前記事でも下の方に●お願い●として書きましたが、
ここで怖い思いをしたので、万が一にも「探索に行ってみよう」
と思われた方に、二兎からのお願いです。
   ちょうど浮蓋トンネル西抗口で写真を撮っていたところ、老方方面から
   大音響でカーステレオをかけて物凄いスピードを出した車が
   “ズドーン!!” って効果音を付けたろか? という勢いで
   スピードを緩めずにトンネルに突っ込んでいきました。
   今までご紹介してきた通り、このトンネルに限らず横荘線のトンネルは
   幅員が車一台やっとです。周辺にこの通り人家が少なく、
   通行量が皆無に等しいとは言え、周辺の山を管理する人や、
   山菜採りの地元の人等が季節を問わず入る山です。
   田舎の道にありがちなことですが、
   交通量が少ない為に車に対しての警戒感が薄く、
   車が来ても避けない人も多い上に、道幅が狭く避ける場所も限られます。
   また、山の木々の葉擦れの音で車の音がかき消され、
   車が近づいていることに気がつかないことも考えられます。
   ここに限ったことではないのですが、
  
このような道を探索される場合は、
  “地元の人々の生活道路を脅かしているのだ。”
  という意識を持って、徹底した徐行運転・
  安全運転を心がけてくださるよう
  お願いいたします。
 
  万が一、事故を起こした場合、携帯電話も通じず救急車両も来られない
   という可能性だって大いにあるのですから。

 

お願いも終わった所で、再度出発~(>ω<)ノ゛ 
   3120144
トンネル出口から老方側に目を向けると、
       3120146 3120147
見捨てられたように錆びた県道を示すオクタゴンが(寂)
足元の小さな橋は横荘線の当時からの物。
だけど、浮蓋トンネルを抜けると道幅が広がるので、
単線だった横荘線の物にしては幅があります。
もしや?と思って下りて中を覗いて見ると、
   3120148
やはり県道になってから広げたみたい。(真ん中の出っ張ってる部分が横荘線)
それにしても、コンクリートに木の枝を突っ込んで渡しているけど、
まさかこれで橋梁を支えていた訳はないよねぇ…。むぅ(-ω-;)

この橋を過ぎてすぐ、道が広がっている場所があります。
   3120149 3120169
              老方方向                     横手方向
ここが浮蓋停留所があった所と言われています。広がった部分がホームとか。
広がった道幅以外に駅の名残を示すものはありません。


   3120145
停留所跡から浮蓋トンネル側を振り返ると、
左の林の脇に沿って伸びる電柱の列。これが浮蓋集落に向かう道だった場所。
廃村になった今、踏み締め通る人も無く、既に自然に還りつつあるのが分かります。

  
道の両側に広がる耕す者もいなくなった田んぼ跡の脇には
川の源流の示標が立っています。
   3120170
数キロ先で高瀬川に合流する小さな川だけど、一級河川の祝沢川。
大きくなくても一級ということは、どういう区分けの仕方なのかしら??

浮蓋停留所からも見えていたこの建物は、祝沢集落の集会所。
   3120171
昔は小学校だった場所で、少し広いのは校庭の名残。
祝沢小学校と言うのか?玉米(とうまい)小学校・祝沢分校というのか?
  文献によってまちまちなのですが、二兎丸のママンは
  「祝沢の分校」と言ってました。
  当時は、木造の本当に小さい校舎だったそうな

 取材当時、この小学校跡のそばから、
 反対側の山中に入っていく道路が整備中で、
 集会所の横には工事の飯場が建てられていました。
 前記事の新宮集落と同じく、限界集落の蒲台集落につながる道路の改修。
 2007年現在は砂利敷きの細い道だったけれど、
 整備されれば、冬に除雪車が入れるようになり、
 冬の間、家を残して里に下りて“別宅”暮らしを余儀なくされていた人達が
 年間通して自宅で過ごせるようになるはず。 (どっちを“本宅”と見做すのかはびみょ~だけど:)
 こういう不自由な暮らしが少しでも改善される為にも、
 道路のお金(に限らず、予算)は大切に使うべき所に使って欲しいと思う。

しばらく行くと祝沢集落に入ります。
10軒程の集落を過ぎると最後のトンネル・祝沢トンネルが見えて来ます。
   3120173

   3120175 3120180
このトンネルは横荘線のトンネルの中で唯一、扁額があったような痕が残っています。
また、現在ではこのトンネルだけは電気が通っていて、中に照明が点いています。
   3120182 3120183
中で線路はS字に蛇行していて、その上、途中には穴が…。
保線の作業員や、集落の住民が行き来にトンネルを通っていて、
最中に汽車が来た時に逃げるための退避穴かも?
穴から外に出ると祝沢川が流れていて、
以前は流れに沿って、トンネルの東抗口前まで抜ける道がありました。
  →現在は藪化していて通り抜けられないけど、東抗口横から途中までは、祠があるために来ることが可能。
     偶然だけど、この祠は二兎の遠縁の親戚が管理している眼の神様だそうな(-ω-)
   祝沢トンネル13-2.JPG
                 横を流れる祝沢川の流れ


横荘会の資料によると、この場所は祝沢トンネルではなく、
笹倉トンネル76.8m、笹倉傾雪○(←判別不能)120.2mとあります。
(また別の資料では第一柴倉トンネル200mとなっていたりします。)
今残っている祝沢トンネルとこの2つは合致するような感じがするので、
もしかすると、途中の穴は二つの区切りの所だったのかも?
いつかまた行って、長さを計ってみたいと思います。
 

  二兎丸のママンは、小学校に入る少し前に、
  東由利町の伯母の元に預けられて育ちました。
  小学校は玉米小学校(現在の由利本荘市立八塩小学校)に通いました。
  玉米小学校では、小学校三年生になると皆でお小遣いを出し合って、
  山の奥で物が充分に届かない祝沢の学校に、ノートや鉛筆を届けたそうで、
  稲刈りが終わった秋の日に、同級生達と一緒に先生に引率されて、
  このトンネルを通って行ったそうです。
  当時(昭和32年頃)既に横荘線のこの区間は廃止されており、
  レールも剥がされていて砂利道だったそうですが、
  同道した子の中のイタズラなのが、
  このトンネルの中で、まるで汽車が走ってくるようなモノマネをしたそうで、
  それを聞いたママンは、本当に汽車が来て轢かれてしまうんだと思って
  怖くて泣いたんだとか…。
  だから、このトンネルの横穴も分校もよく覚えているとのこと。


さて、トンネルを抜けて、老方側の抗口に到着。
   3120229
この祝沢トンネルの途中に、湧き水が出ています。
地元では昔から、祝沢の湧き水と言って知られており、
近隣から水汲みに来る人がいました。
トンネルの中で水を汲んでいると危ないので、←なにしろ車一台分の幅しかないもの
今では、トンネル出口の左側までパイプで湧き水を引いて、
安全に水汲みが出来るようになっています。

      祝沢トンネル13.JPG 特別出演:二兎丸ママン(失礼!!)

  最初に探検した時は、夜中だったので気が付かなかったのですが、
  こうして水を汲んだことで、二兎丸も子供の時に既に
  ここに来ていたことを思い出しました。
  弟が産まれる時に東由利のママンの実家(大伯母の家)に預けられて、
  その時に伯父が、従姉妹と二兎丸を一緒に車に乗せて
  ここに連れて来たことを…。
  当時は今の県道より道幅も細く、まだ砂利道で、
  多分、横荘線時代と大して変らない状態だったのだと思います。
  老方の方からずっとガタガタと揺られてここに着くと、伯父は
  「二人とも車で待ってな」
  と言うと、トンネルの中に入って行ってしまいました。
  山の日暮れは早くて、今よりも木々が鬱蒼としていて、
  目の前には暗いトンネルがぽっかりと口を開けていて、すごく怖くて…
  あの時見たトンネルは、上の写真の抗口のようにキレイではなくて、
  葛のような蔓に被われて本当に不気味な穴に見えました。
  多分、時間にして15分位に過ぎなかったと思うけれど、
  「伯父さんは永遠の闇の中に吸い込まれてしまって、もう帰って来ないんだ。
  従姉妹と二人、この山の中で取り残されちゃう…」
  そう思って、従姉妹と二人泣きべそをかき出したら
  ひょっこり伯父が戻って来て、ものすごく安心して…
  そして、帰り道のことはスッポリと記憶にないの。
  伯父はそれから3年後に事故で突然亡くなってしまいました。  
  大好きだった伯父との数少ない大切な思い出です。

二度も話が横に逸れちゃった…(-ω-;)

   3120231
トンネルを出た横荘線はゆるゆるとカーブを下りながら老方に向かって走ります。

そして途中に出てくるのが、随分前に記事にした、あの白い壁
   3120233
以前載せた白い壁の写真はこの反対側から、
二井山方面に向かって撮ったもの。
昔はこんな吹きつけコンクリートはなくて、
ゴツゴツの岩が向き出しの切通しだったような気がします。

切通しを抜けて振り返ると、別れ道が。
   ここは後で別に記事にするので覚えていてね。 
   3120234 3120265
       横手方向に向かって撮影         左の青看のアップ
直進方向の“祝沢”って書いてあるのが横荘線跡。
この小屋の裏手に、古い羽後交通のバスが物置になって残っています。
    茂沢1.JPG
裏に回ればもしかして、古い鉄輪の社章↓↓が残っているかも?!
                      社章.JPG昔の羽後交通はこんなマークだったの
と思って近くまで行ってみたけれど、裏に回れなかった。残念。

 

   3120266
少し上の写真と似ているけれど、この右カーブを過ぎると
終点・老方まであと少し…。
前にも書いたけど、実際に車を走らせると、
山道とは思えない緩やかなカーブに、確かに鉄道が走っていたと実感できます。

   ●おまけ●
    「秋田県道48号線」
でググッたら、
     なんと!二井山トンネルからこの先の寺田(次回の冒頭の写真の場所)までの
     区間を車で走った様子を車載カメラで撮った動画がありました!!
     私の拙い文章よりもずっと鉄路らしさが分かります。
     高速回線の方は上のワードでググってみて(・ω・)ノ
     
(ホントはココに埋め込みしようと思ったんだけど、upしてくれてる人に断り無しにするのもどうか
       …と思ってやめました。このためだけにアカウントとるのも嫌だったし…)

次回・最終回、ようやく終点・老方に到着します。  ⇒終点へ進む

さぁ、でわ次回も 『にわか鉄子の部屋』 ご覧くだしゃいね~♪
今回もお付き合いいただき、ありがとうごじゃいましたm(__)m
白兎鉄子でごじゃいました~。               ∩ ∩
次回・最終回の終着まで、みなしゃま、ごきげんよぅ~(・ω・)ノ゛



●お願い●
  記事を書くにあたり、
  地元図書館に残された資料などを参考にしておりますが、私の
  書き間違い、勘違い…その他諸々の誤りが
  多分、きっと…いえ絶対に、あると思います(-ω-;)
  自分でも気を付けて記述して行くつもりではおりますが、
  間違いにお気付きになられた方は、
  お手数でもコメント欄にて、ご指摘・ご教示いただけると大変助かります。
  不特定多数の方がご覧になる可能性があるので、
  誤った情報を広めないためにも、どうかご協力くださいますよう
  伏してお願い申し上げますm(__)m


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コメント 4

sasasa

田舎のほうに行くと、
交差点でも一時停止しないおっさんとかいるからね。
ここの道は、本当に幅が狭いから、
車がきたら、場所によっては、よけるのも恐いようなとこもあるんだろうね。
最後のほうの白い壁を見て、あの時の記事の記憶がよみがえったよ(^_^;)
by sasasa (2009-09-19 23:57) 

あおい君と佐藤君と宗男議員

おお!
浮蓋トンネルってやづは、バームクーヘンみたいだっけやね。
うんめそうだなぁ~。(笑)
でも、トンネルばっかり入ってれば、危ぇで。
気つけねばなんえね。(笑)
by あおい君と佐藤君と宗男議員 (2009-09-20 01:31) 

aya

湧き水が美味しそう、冬は暖かいのね。
バームクーヘン、そう見えますね。 トンネル怖いね、
よく入れましたね、夜はとっても怖そう(*´ー`*)
by aya (2009-09-20 22:46) 

二兎丸

○sasasaさん○
 そうそう、いるいる~!!
 多分、道だって認識無いんじゃないかなぁ…
 自分の家の庭の延長みたいな感覚でいると思う(爆)
 『白い壁』 あは~(>ω<)゛
 アレ書いてから時間が経ったわねぇ…
 いい加減に完結させなさいってね(滝汗)

○宗男氏○
 あの不気味なボロトンネルを甘くてうっとりな
 “バームクーヘン”と表現するあたり、
 さすが宗男氏、座布団二枚っ(>ω<)ノ!!
 ユーハイムとかに売り込みに行こうかしら(何をだ?!)

○ayaさん○
 昔この辺りは水道無かったからね、
(…て、二兎んちは未だに無いけど(爆))
 水汲みもちょっとした仕事だったの。
 この村はこういう湧き水が、名の通っているのだけでも
 三箇所あって、ここは道からすぐだから便利なの。
 最初に行った時は仕事帰りの夜だったからすんごく怖かった。
  (…とか言いながら行くバカ)
by 二兎丸 (2009-09-21 22:16) 

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