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こんどこそホントに出発です(;>ω<)ノ【羽後交通・横荘線3】 [白兎鉄子の部屋]

みなしゃま ごきげんよう 白兎鉄子でごじゃいましゅ♪
今日も 『にわか鉄子の部屋』 に、ようこそおいでくだしゃいました(・ω・)ノ

天気予報の通り、今日は午後になったらお天気が一変しましたね。
みなしゃまはこの週末をいかがお過ごしですか?

しゃて本日も、“羽後交通・横荘線”のお話をいたしたいと思いましゅ。
なかなか横手駅から出発せじゅにおりましたが、いよいよ路線跡を巡りましゅ。

 今回の記事が初めの方は、
 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、
 とてもありがたく思いましゅ。

   最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』


では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡


 

横手駅を出た横荘線は、途中まで奥羽本線と併走します。
ここは横手駅を出て最初の、奥羽本線・安田踏切。

踏切から横手駅側に向かって撮影した写真です。
線路の左側、遮断機の位置が横荘線の路盤だった所。

 


同じ位置の反対側湯沢方向。やはり遮断機の立っている位置を
画面奥に向かって路盤が続いています。上を通っているのは、
かつて横荘線が夢見た奥羽横断の道、国道107号線。
単線の奥羽本線に対して、陸橋が異様に広いのが分かります。
架け替えした時も陸橋の幅を狭めなかったのは、奥羽本線が
いずれ複線化する時のため?? (まず無いとおもうケド)

上の写真から、しばらく併走してきた二つの線路はここでお別れ。

左側の低い位置を走っているのが横荘線。
現役の線路内には入っちゃイケナイので、境目で横手に向かって撮影。

ここから藪の中を浅舞方向に歩いて行くと…

かつての橋があります。
この残っているガーダーの様な物が当時からの物かは不明。
結構華奢なつくりなので、この上に枕木が乗って列車が通って、
本当に大丈夫だったのかしら??
橋の向こうに立っているのは、ここで行き止まりを知らせる物。
橋の向こう側は農道として使われています。

橋の場所から農道を進んできて横手方向に振り返るとこんな感じ。

右側に離れて行く奥羽本線が見えます。

同じ位置で浅舞方向に目を向けると…

すぐにコンクリートの橋台が残っているのが見えます。
上に乗っている木は穴が開いているところから見ても、
多分住宅の柱等を転用したもので当時の枕木ではないと思われます。
下の石積みはかなり崩れてしまってます。
横を渡っている青いパイプは廃線後に付けられた用水のもの。

この路盤の奥、用水池の端にももうひとつ橋台があります。

コンクリートの土台とガーダーがまだ残っています。

離れた位置から撮影したのがこちら↓

黄色い“↓”で示した所が橋台跡です。奥を横に真っ直ぐ走っているのが奥羽本線。

上の用水池を過ぎた路盤後はこの写真に続きます。

住宅の前からは砂利が敷かれて私道として利用されている模様。

同じ位置を反対の浅舞側に向かって撮影。

反対側の路盤跡も農道として使われています。

 

では、この道を進んで行きましょう。
路盤跡は果樹園を抜け、切通しを抜けて走って行きます。

切通しを抜けると、そこは秋田自動車道・横手IC。

路盤跡はこのまま真っ直ぐ横手ICの下に吸い込まれてしまいます。
この辺りはIC建設の際に大規模に造成されてしまって、跡形もありません。

路盤跡を追うためにICの下を潜り抜けて反対側へと走ります。

 

横手ICを抜けて工業団地に向かう道から、横手ICを振り返って撮影。

上を走っているのは秋田自動車道。
橋の下に見える緑色の行先表示板の辺りからこの道へと、線路があったらしいです。



路盤跡など跡形もなく拡幅された道路になっています。
横荘線には短期間の営業で、“幻”と言われる『栄村(えいむら)停留所』がありました。
1918(大正7)年8月18日から1921(大正10)年3月31日までの
短い間設けられた停留所でした。
記録に残っている横手駅からの距離を勘案すると、
その場所はこの画像の白い車の辺りではないかと推察されます。

 

この場所を浅舞側に向かって振り向くと、ほんの少しだけ路盤跡が顔を出します。

この古いアスファルトがそう。昔は田んぼの中の一本道でした。
ICが出来て、工業団地が造成されて、すっかり様変わり。

このアスファルトの終わり。工場の手前にも橋台跡があります。

段の部分にガーダーが乗って、線路が走っていました。

『平成の大合併』で、平鹿郡市8市町村は全て横手市になりましたが、
横荘線の開業は『昭和の大合併』より更に昔。
横手駅があった辺りは“平鹿郡横手町”(現・横手市駅前町)
横手ICがあるこの辺りは“平鹿郡栄村”でした(現・横手市新藤柳田)

  ちなみに…
  停留所では『栄村』のことを“えいむら”と読んでいますが、
  地元の栄地区の人に「えいむら」と言うと嫌がられることがあります。
  稀にですが、こう言われると
 
 「“えい”でねっ!“さかえ”だっっ!!」
   と力を込めて言う地元民がいます。横手市には境町地区と言う場所が別にあり、
  昭和の大合併の際にどちらも旧横手市に組み込まれました。
  こちらは“さかいまち”と読みますが、何しろ田舎のこと、
  訛っていますから、どちらも“さかえ”とか“さかい”だとか、
  聞き間違いが頻発するので(笑)、栄地区の方を“えい”と呼ぶように
  自然になって行ったようです。 
 

用水を越えた路盤跡は一度工場の跡に吸い込まれ、また先へ。
浅舞方面の次の停留所『樋ノ口』向かって続いて行きます。 ⇒次の停留所は田んぼの中へgo!

さぁ、でわ次回も 『にわか鉄子の部屋』 ご覧くだしゃいね~♪
今回もお付き合いいただき、ありがとうごじゃいましたm(__)m
白兎鉄子でごじゃいました~。みなしゃま、ごきげんよぅ~(・ω・)ノ゛


●お願い●
  記事を書くにあたり、
  地元図書館に残された資料などを参考にしておりますが、私の
  書き間違い、勘違い…その他諸々の誤りが
  多分、きっと…いえ絶対に、出てくると思います(-ω-;)
  自分でも気を付けて記述して行くつもりではおりますが、
  間違いにお気付きになられた方は、
  お手数でもコメント欄にて、ご指摘・ご教示いただけると大変助かります。
  不特定多数の方がご覧になる可能性があるので、
  誤った情報を広めないためにも、どうかご協力くださいますよう
  伏してお願い申し上げますm(__)m


nice!(26)  コメント(15) 

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コメント 15

MORIHANA

あいっ (ёvё)ノ いっちばーん。
また来るね…。イヒ
by MORIHANA (2008-02-23 15:56) 

miyomiyo

徹底した追跡ですね。
耳を澄ませば二兎丸さんには汽車の音が聞こえるかも知れませんよ。
by miyomiyo (2008-02-23 20:18) 

sasasa

こうして見ると、
意外と跡が残っているんだね。
普通の道路だと思っていたところも、
実は昔線路だったとこって言われてみると、
そう見えてくるね。
by sasasa (2008-02-23 23:32) 

ルッコラ

ふと、当時に思いを馳せてしまいますね〜^^
そして興味は膨らんでくるんですよね♪
by ルッコラ (2008-02-23 23:36) 

ぽんこ

さびしい気もするけど貴重な路線探検だね。
by ぽんこ (2008-02-24 13:21) 

aya

これ、車で移動だと思っていたけど、自転車かな? 狭い道を
辿っていくのは、ワクワク、ミステリー本を読んでいるみたいです(^^)v
by aya (2008-02-24 14:34) 

いつもながら、超大作ブログ。
本当に案内されてるみたいで、後ついてってるような気分になるよ。(笑)
by (2008-02-24 19:03) 

笙野みかげ

廃線になった後って何年か経つとこうなるんだね。
面影がしのばれるところと、全く分からないところ。それを辿っていった二兎丸ちゃんにnice!
by 笙野みかげ (2008-02-25 14:11) 

たろちぅ

テスト(Φ_Φ)ノ
by たろちぅ (2008-03-02 16:54) 

calcam

のどかだねぇ。
by calcam (2008-03-04 21:37) 

BRIC−A−BRAC

くそー
こういうのはさぁ
ポケットいっぱいついたベスト着て
フィールドサッチェルってかんじの
バッグを斜めに
意味無くでかいカメラで

連れてってくれ!
by BRIC−A−BRAC (2008-03-05 18:22) 

ロボッコ

ノスタルジーな香りぷんぷんだじょ♪
二兎丸ちゃんのお供ロボ致します!!
配線になった線路・・すごく物語が詰まってて
ぞくぞくしてきちゃった♪えへへ
(*^ω^*)
by ロボッコ (2008-03-06 09:46) 

TOMO

長野にも「栄村」って
書いて「さかえむら」があるよん。
by TOMO (2008-03-06 15:02) 

ふじかわ

奥羽本線懐かしい響きだなぁw
by ふじかわ (2008-03-07 19:15) 

二兎丸

メンテを避けていた間に遊びに来てくださってありがとうです(>ω<)♡
なんだかイロイロ変わっててチンプンカンプン???
続けて行けるか不安になって来ちゃったヨ(泣)

●MORIHANAさん
 お忙しい中ありがとうです♪

●miyomiyoさん
 徹底した…というか、ただダラダラと追いかけた…というか(汗)
 二兎丸には聞こえなかったけれど、ママンは聞いたらしい(笑)
 そのオハナシは後ほど書くので、またご覧くださいね。

●sasasaさん
 いつも通っていたのに何とも思っていなくて、
 言われて初めて“なるほど~!”的な場所ばかりでした。
 北の地には廃線が沢山あるから探検し甲斐ありそう(Φω<)b

●ルッコラさん
 膨らんだ興味で山に分け入って記事にまでしちゃったヨ(TωT)
 でも、自分的にはスッキリしたです。

●ぽんこしゃん
 ん~、二兎丸は動いていた当時を知らないし、家族でも乗ったコトあるのは
 ばあちゃんただ一人だから、寂しいっていうのは余り感じないの。
 高校の先生とかは、授業中に話題にして寂しがっていたなぁ。

●ayaさん
 いえ、すんごい山道なので自転車はカンベンしてくだされ(泣)
 ひたすら車で分け入ったよ。

●koyuriさん
 そう言っていただけると…照れるなぁ(違)
 いつも単にムダな記述が多いだけなんだよね。
 簡潔に伝える術を身につけたいと思うの。常に。

●笙野みかげさん
 ありがと~♪
 思っていた以上に野生に戻っているところは少なかった。
 国道の廃道なんかは自然に還っちゃったりしている所が
 結構多いんだけどね。

●たろちん
 ん、テスト??? メンテのコトかなぁ???

●calちゃん
 長閑でしょ。これから先はもっと長閑だよ(爆)

●BRI氏
 では、装備はBRI氏に任せるから、
 次回はご一緒に(ΦωΦ)ノ!!

●ロボちゃん
 当時の列車の写真とか持っていて載せられたら
 もっとノスタルジックなんだけどねぇ…。
 まさか参考文献から転載できないし(泣)
 当時の写真をネットにアップしてくれている人も少しだけどいるみたい。
 『羽後交通 横荘線』で検索すると見つかるよ。

●TOMOさん
 おお、そちらにも『さかえむら』ございますか!
 分かっているけどつい、『えいむら』って言っちゃうんだよねぇ。

●ふじかわさん
 懐かしい??
 横手の辺りは新幹線から取り残されちゃって、
 特急も寝台も走らなくなっちゃったから、未だに単線で昔のままだよ。
by 二兎丸 (2008-03-08 04:40) 

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