So-net無料ブログ作成

雪の土手を駆け抜けろ【羽後交通・横荘線7】 [白兎鉄子の部屋]

みなしゃま ごきげんよう 白兎鉄子でごじゃいましゅ♪
GWはいかがお過ごしでしたか?
『にわか鉄子の部屋』 しばらくぶりで出発進行でしゅよ(・ω・)ノ

 今回の記事が初めの方は、
 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、
 とてもありがたく思いましゅ。

   最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』

では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡


沼館を出た横荘線は間もなく、右側に木戸五郎兵衛神社を見ながら一路北に進みます…

この神社の前を走る蒸気機関車の絵はがきが残っていて、
参考資料にした羽後交通横荘線―オラほの横荘っこ に掲載されています。
当時は田んぼの中にポツンと神社があったのですが、
現在では線路跡が県道13号線として大きく整備され、
神社の左側には萱葺きの民家が移築された“木戸五郎兵衛村”に、
右側には雄物川町郷土資料館になっています。
この郷土資料館には、横荘線の腕木信号などの資料が残されています。

この木戸五郎兵衛神社、地元では「きどごろべぇさん」と呼ばれるお稲荷さんで、
なんでも“失せ物”“盗難よけ”にご利益があるそうな(-人-)


“木戸五郎兵衛村”を過ぎた交差点で、横荘線は初めて県道48号線と合流します。
写真は沼館駅側に向かって交差点を撮った物。左の松並木が“木戸五郎兵衛村”。

ここから数100m走っただけで県道48号線は左に分かれ、

雄物川を渡り、例のトンネルがある二井山に先回りします。
横荘線は再び県道13号線を北に…



しばらく行くと県道13号線は右にカーブしながら逸れて行きます。
この分かれる地点が『船沼停留所』があった場所。


県道13号線と別れた横荘線の線路跡は団体営農道になって真っ直ぐ伸びています。
ガードレール(?)で囲われた古いアスファルトの場所が停留所。
ここにも停留所があった事を示す標識が立っています。


 

船沼停留所からさらに北上…

まっすぐな農道を進んでしばらく行くと、舘合駅があった場所。


お約束の農協が…(-ω-;)


農協の脇にはやはり駅跡を示す標識。さすが旧雄物川町♪
農協の建物の土台の高さがホームの高さだったとか…
前に書いた県道48号線を走る路線バス・舘合線↓は、
   
あのトンネルには向かわないで、ここが終点。
横荘線跡とはほんの少ししか一緒に走らないのね。

ちなみにコチラ↓が羽後交通バスとそっくりな小田急バス
…というか、小田急バスから払い下げてもらってるから、『小田急バスにそっくりな羽後交通バス』って言う方が正しいね。
   odakyu2.jpg
   
渋谷駅西口バスターミナルで捕獲

横荘線が蛇行し“団萬鉄道”と揶揄された地主のもう一方、
“萬”さん はここ舘合の人。
この近在ばかりでなく、県都・秋田市周辺にも田畑を持つ大地主でした。

   実は“団”さんの方は知らなかったけれど、“萬”さんの方は
   横荘線を経た羽後交通の大株主だったことを高校生の時に知りました。
   “萬”さんの子孫が高校の同級生で、写真入りのバス定期を見せてくれたから。
   「株主の優待でどの路線でもどこまででも乗れるんだ。」って言っていました。
   そんなモノがあるなんてビックリで、
   「なんでこんなモノ持ってるの?」って聞いたら、
   「昔俺の先祖が金出したから、株主なの。」って。
   彼の本当の名前は違うけれど、そのご先祖様の名前で
   「萬助」って、あだ名で呼ばれていたことを覚えています。
   今思えば、意外に身近なところに関係者がいました。

 

この舘合駅は雄物川に近い駅で、雄物川の川原から砂利を運搬する
砂利採取線というのが本線とは別に川原まで伸びていたようです。
道路横に残る農道は、もしかすると側線から伸びる砂利採取線の跡かも??


道路になった線路跡は下開集落を抜けて雄物川を目指します。

真っ直ぐ進んで、この分かれ道を左に入って…


民家の前を過ぎると、堤防に遮られちゃうけど線路は堤防の向こうへ。

堤防に上がって振り返るとこの通り。

多分、左側に残っているのが本線で、今走ってきた右の道が砂利採取線かなぁ?


堤防の向こうは草茫々(-ω-;)

ここから先に真っ直ぐ並んで立っていた、雄物川橋梁428mの23本の橋脚は
廃止後に爆破処理されて残っていません(泣)

この砂利採取線が活躍したときがありました。
1947(昭和22)年7月の豪雨で秋田県内は甚大な被害を受けました。
文献によると、
横荘線も沿線37箇所で損壊。舘合までは一週間ほどで復旧しましたが、
この先の雄物川に架かる船場避溢橋の損壊が支障となり、
舘合~老方間が全通するのは一年以上先の1948(昭和23)年11月までかかりました。
この時、川向こうの羽後大森駅に国鉄から借りている物も含めて、
20数両の貨車が取り残されてしまいます。
戦後復興の物資輸送のために1両でも車両が惜しい時代、
復旧までそのまま置いておくなんて悠長な事は言っていられませんでした。
考えた結果、実行された作戦は、
冬に雪が降るのを待ち、砂利採取線の先に雪で土手を作り、
そこに線路を仮設し、雄物川橋梁の本線につないで車両を渡すというもの。
羽後大森駅から機関車で橋の上を押してきた空の貨車を
雪の土手の手前で切り離し、ロープで引っ張って砂利採取線まで誘導し、
作業員が舘合駅まで押して行ったそうな…。
途中ロープが外れるか何かで勝手に走って逃げちゃう貨車があったりもしたとか。
雪を固めて築いた土手の上に列車を走らせるなんて
今考えると荒唐無稽なように聞こえるけれど、
当時作業に当たられた方々は運行を確保するために真剣だったのでしょう。
危なっかしい雪の上の線路を脱線することなく無事に作業を終えたのは凄いの一言です。

 

堤防を越えて、雄物川の川原に出ました。横荘線の雄物川橋梁の少し上流に
山城堰というのがあります。

堰は雄物川カヌークルージングの船着場になっていて、駐車場もあります。

堰の案内板の足元に誰かの忘れ物。

電気ポット、こんな所にコンセントなんか無いぢょ(-ω-;)???

さて、この駐車場から川原に向かって歩いて行くと…
下流側になにやら、きちゃならしいゴミ??


四角いコンクリート片が爆破された橋脚の残骸だそうな。

長い棒状のは多分流されてきた違うゴミ     兵共が夢の跡(違)

この先、川を渡った中洲にも橋脚はあったはずなんだけど、
カヌーかボートでも持ち込んで渡らないとムリ(泣)

仕方ないので、迂回。

 

下流の大上橋に向かって堤防を走ると、
横荘線に関わった地主“萬”さんの家の大上競馬場跡が残っています。

堤防が出来たり、圃場整備で、古い地図に記載されていたターフは残っていないけれど、
跡地には馬頭観音が祀られ、標識が立っています。
『第3回ダービーで優勝したフレーモア号を生んだ』と書かれてあります。
この競馬場の開設が大正7年。第3回ダービーって…いつのことじゃろ?? 
金持ちの道楽って言われるとそれまでだけど、この競馬場は
娯楽に乏しいこの田舎で周辺住民に大歓迎されたそうな。

 ⇒次回はいよいよ川を渡って羽後大森駅へ…

 

さぁ、でわ次回も 『にわか鉄子の部屋』 ご覧くだしゃいね~♪
今回もお付き合いいただき、ありがとうごじゃいましたm(__)m
白兎鉄子でごじゃいました~。みなしゃま、ごきげんよぅ~(・ω・)ノ゛

  


●お願い●
  記事を書くにあたり、
  地元図書館に残された資料などを参考にしておりますが、私の
  書き間違い、勘違い…その他諸々の誤りが
  多分、きっと…いえ絶対に、出てくると思います(-ω-;)
  自分でも気を付けて記述して行くつもりではおりますが、
  間違いにお気付きになられた方は、
  お手数でもコメント欄にて、ご指摘・ご教示いただけると大変助かります。
  不特定多数の方がご覧になる可能性があるので、
  誤った情報を広めないためにも、どうかご協力くださいますよう
  伏してお願い申し上げますm(__)m


nice!(19)  コメント(14) 

nice! 19

コメント 14

しろくま

こんにちはー。ご無沙汰しています。
二兎丸さんになられてからははじめましてー。
またブログを拝見できてうれしいですー。
今回二兎丸さんが紹介してくださった風景は、自分が旅に出たりなんかしたときにはあっけなく通り過ぎてしまいそうな景色なんだけど、もちろんひとが住んでいたんだから歴史もあるし、いろんなひとが生きた証が刻み込まれているんだと、しみじみ思ってみたりしたりして・・・。
また、読みに来ますね~。

by しろくま (2008-05-12 15:14) 

sasasa

第3回ダービーは、1934(昭和9)年のダービー。
フレーモア号はその時の優勝馬なんだよ。
そして、フレーモア号は、唯一の秋田県産のダービー馬だそうな。
それは、さておき、
こうして、廃止された鉄道の跡を残しておくのって、
きっと、その時の記憶を後の世代まで残しておこうっていうのが、
あるんだろうね。
札幌にも、横荘線より数年前に廃止になった、
「定山渓鉄道」っていうのがあったんだけど、
今では、ほとんど何も残っていないよ。
by sasasa (2008-05-12 23:17) 

miyomiyo

思ってたより長~い鉄道なので驚きです。
一体どんなのが走っていたのか知りたくなります。
by miyomiyo (2008-05-17 07:40) 

二兎丸

●しろくまさん
 お久しぶりです♪
 アチコチをくまさん達と旅されるしろくまさんなら、
 きっとこんな景色を沢山通り過ぎていらっしゃるのでは?と思います。
 ココもそうですが、後から『あ!アレそうだったのか!!』と地団駄踏む景色が
 幾つかあって、そのうちもう一度訪れたいと思っています。(いつのコトやら)
by 二兎丸 (2008-05-17 15:34) 

二兎丸

●sasasaさん
 おおお、sasasaさん物知りだ~!! ありがとうです♪
 まぁ、碑に書いてあった名前からかなり昔とは思っていたけれど、
 そんなに昔の話だったとは…。
 それにしても萬助んちの馬ってスゴかったんだな。

 定山渓鉄道、本で見て名前だけは知っているよ~。
 確かにあそこは跡形も無い感じだね。
 ココも、本に載ったりしているけれど
 自分の眼で見て記憶しておきたかったの。
by 二兎丸 (2008-05-17 15:38) 

二兎丸

●miyomiyoさん
 当初計画線よりも、文中にあるような地元有力者達の思惑などで
 蛇行したおかげで、結構長い路線ですね。
 元々の目論見どおりに完成していれば、更に伸びて、
 日本海側まで達していた路線でした。(日本海側の路線は現存)

 車両の写真は持っていないので(本のを勝手に転載できないので)
 載せられなくてごめんなさい。
 開業当初は蒸気機関。その後ガソリンカー等が走ったようです。
 都電を改良した車両などもありました。
by 二兎丸 (2008-05-17 15:43) 

二兎丸

nyanちゃん、ルッコラさん、きむたこしゃん、
TOMOさん、よっきーさん、ぽんこしゃん、
benilkichiさん、xml_xslさん、
ayaさん、nomusanさん

今回もご覧くださってありがとう(Φω<)~♡
by 二兎丸 (2008-05-17 15:46) 

二兎丸

あら?!
たろちんトコに行って戻ってきたら、たろちんおる~(ΦωΦ)ノ
by 二兎丸 (2008-05-17 17:31) 

BRIC−A−BRAC

金持ちになったら
馬主になろー
英国人みたいにしよー
by BRIC−A−BRAC (2008-05-18 22:03) 

二兎丸

おおっ!
その時は是非、二兎丸もお馬さんに乗せてくだされ♪

そうそう、日本で馬主さんになるには、本籍地の役所から
“禁治産者じゃない”って証明を受けなくちゃならないんだよ。
BRI氏、知ってた??(Φω<)b
by 二兎丸 (2008-05-19 02:04) 

二兎丸

Nicoli♪ちゃん 遊びに来てくれてありがと~ね(ΦωΦ)ノ゛
by 二兎丸 (2008-05-19 02:05) 

BRIC−A−BRAC

げっ
なれないじゃん
馬主

橋脚だけ残ってたりするとこ
あるよね

そういえばさ
横須賀のほうにいくと
砲台が
キャベツやダイコンの畑に
でーんと残ってたりするよ
by BRIC−A−BRAC (2008-05-19 18:05) 

二兎丸

え!? そうなのBRI氏?
それって、ヤバいぢゃん!!

うんうん、橋脚は結構残っているよね。
道走っていて、『お、アレは何が走っていた跡だろう??』
っていうのに遭遇するコトあるよ。

砲台はまだ生で見たことないよ。
東京湾のど真ん中にもすんごいのが残っているらしいって
聞いたコトだけはあるけど…どんな感じなんだろう。
by 二兎丸 (2008-05-24 21:58) 

二兎丸

Nicoli♪さん、Toyo-Rapidさん(はじめまして…かな??)、
Rangerさん、calちゃん

ご覧くださってありがとうです♪
また続きもお付き合いくださいね(>ω<)ノ
by 二兎丸 (2008-07-06 22:13) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。