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崩れた橋が廃止の合図【羽後交通・横荘線8】 [白兎鉄子の部屋]

みなしゃま ごきげんよう 白兎鉄子でごじゃいましゅ♪

最近お天気が急に上がったり下ったりしていますが、
体調を崩されたりしてらっしゃいましぇぬか?

しゃて本日も、“羽後交通・横荘線”のお話をいたしたいと思いましゅ。

 今回の記事が初めの方は、
 どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、
 とてもありがたく思いましゅ。

   最初の記事>>>  『子供の疑問が大人になって…』

では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡


雄物川を対岸の旧大森町側に渡ってきました。
山城堰がある川べりに向かう道、これも横荘線。
 大森1.JPG


前の記事の対岸と違って、こちらからは川が広がって見えます。
 山城堰1.JPG

これは雄物川中流にある山城堰
ちょうど先週の昼、NHKの番組で『地方の食文化紹介』というコトで
雄物川の春の恵み“ウグイの投網漁”を行う場所として、ココが取り上げられていました。
(この川は漁業組合が管理する川なので勝手に釣りや漁をしちゃダメダメよぅ)
この堰を開閉する事で、大森地区に用水を供給しています。

さて、ここから下流に目を向けると、川の中に丸い人工物が…。

 橋脚3.JPG
 橋脚1.JPG

これが雄物川橋梁の残骸です。
春先の草が生い茂る前か、秋に草が枯れて雪が降る前のわずかな期間、
こうして撮影することが出来ます。

この雄物川橋梁が倒壊した事が、横荘線の廃止に拍車をかけました。
上流部での砂利の採取や治水工事によって、作られた当初よりも河床が低下し、
1965(昭和40)年7月の集中豪雨の影響で、橋脚の付け根の洗掘が進み、
列車の運行に危険な状態になったため、舘合以遠の運行を休止。
(当時既に、二井山~老方間は廃止)
検査の結果、他の橋脚の洗掘や橋梁(ガーダー)の腐食も進行しており、
とても実用に耐えられる状態では無いことが判明。
橋を架け替えるには資本金の三分の一を越える膨大な資金が必要とされ、
小さな鉄道会社にとって、この復旧は無理な相談でした。
運行休止から半年後の1966(昭和41)年2月4日の早朝、
見回りに来た職員の目の前で第9橋脚が倒壊し、舘合以遠は廃止されました。
当時、舘合以遠の鉄道輸送は相当なものがあり、
この廃止は、横荘線にとって大打撃でした。
それを証明するかのように、このわずか2年後には沼館~舘合が廃止。
5年後には全線廃止を迎えることになります。

再び、川から羽後大森駅方面を目指しましょう。

 大森3.JPG大森8.JPG
正面の集落が羽後大森駅があった場所です。
この橋を渡ってすぐに線路は民家を挟むように左右に分かれ、
民家が並ぶ真ん中にホームがあったようです。
この橋の少し下流側の川辺に、もう一つ橋が架かっていたような跡があります。
 大森9.JPG
少し気になったのですが、横荘線に関するものなのか、
以前に架けられていた橋の跡なのかは確認出来ませんでした。
対岸にも同じような跡があるので、多分橋の跡だとは思うのですが…。

橋から少し奥に進むと、駅舎があった場所に出ます。
 大森16.JPG大森18.JPG
       二井山方面                     横手方面

やはりお約束のように農協の施設が建っています。
      旧大森町は、平成一桁の時期に横手から町まで光ファイバーを敷設して
      ネット社会到来に備えたけれど、史跡保存にはお金を掛けなかったので、
      標識などは全くありません(爆)
      せっかく敷設した光ファイバーも当時の住民が利用出来たか?
      と問われるとかなり疑問でしたが。
      なににつけても一点豪華主義で派手な施策が好きだった模様(笑)
左の写真の右側の建物の場所に駅舎があったとか。
羽後大森駅はこの先の八沢木駅と共に、農協の倉庫を擁し、
専用の引込み線などもある大きな駅でした。
それだけに、橋梁倒壊による打撃は農協にとっても大きかったようです。
この先、線路跡は左側の写真の奥に向かって自然に還っています(笑)
更に先回りしてみると、一旦短く道路に戻った線路の跡は
圃場整備されて田んぼの中に消えています。

 大森19.JPG

正面のカーブミラーの所で切れちゃってる…(TωT)
反対側を振り返っても田んぼ(泣)

 大森22.JPG
 大森23.JPG

田んぼを走り抜けた線路は写真の携帯電話のアンテナ塔が建つ辺りで
県道29号線(横手大森大内線)に合流します。この写真の奥の道が消える辺りに、
短期間だけ置かれた“上溝停留所”あったらしいのですが、
場所の特定は出来ませんでした。
      この道は平成になってから出来たはず…。二兎丸が就職してすぐ、
      愛車1号で県道48号線を探して山中を彷徨っていたころは
      まだ舗装も出来ていなくて、雨の中車をドロドロにしながら走りました。
      以前の県道29号線は写真のもっと右、大森町の町内を走っていたはずで、
      これは新しく出来たバイパス。

 八沢木1.JPG
県道29号線を更に進み、農協(JAふるさと八沢木支所)↑↑を過ぎると
横荘線は県道164号線に乗り換えて、北に逸れてしまった分を挽回するように
今度は南に向かいます。

 八沢木5.JPG
                横手方向に向かって撮影

写真では分かりにくいかもしれませんが、
左の青看(行先表示板)の下の止まれの標識の所で、
道路は一旦左に曲がって県道29号線に接続していますが、
線路跡は自然な右カーブを描いて、ガソリンスタンド前に続いていました。
写真を撮っている場所の左側にあったのが、八沢木駅です。
現在は、下の写真の状態です。
横荘線の代わりに羽後交通のバスの転回場になっています。
一緒に写っている倉庫はかつての八沢木農協の物。
この倉庫にも積み出し用の引込み線が敷かれていたようです。

 八沢木6.JPG

八沢木駅跡を出て少し行くと、八沢木川を越える橋があります。

 八沢木10.JPG八沢木9.JPG

この橋の奥に古い橋台跡が残されています。

        八沢木8.-2JPG.jpg

こちらの方が古くて、線路跡か?と一瞬思ってしまいますが、
こちらはかつての町道の橋が架かっていた跡。横荘線は現役の赤い橋の位置です。
古い橋脚が残っていないかと川縁に下りてみたところ、
この近所のお父さんが川でナマズ採りをしていて、橋の事を教えてくださいました。
横荘線当時の橋脚は県道の橋を新しくする際に無くなってしまったそうです。

 

この先、二井山まで出羽グリーンロードの一部である県道164号線になっています。

 極楽寺.JPG

近年整備されただけあって新しく、しかも線路跡を転用した道なので、
非常に走り易い道路です。
道路番号を示すオクタゴンもピッカピカ。

次回⇒再び旧・雄物川町に戻った横荘線は次の駅二井山へ

 


さぁ、でわ次回も 『にわか鉄子の部屋』 ご覧くだしゃいね~♪
今回もお付き合いいただき、ありがとうごじゃいましたm(__)m
白兎鉄子でごじゃいました~。みなしゃま、ごきげんよぅ~(・ω・)ノ゛


●お願い●
  記事を書くにあたり、
  地元図書館に残された資料などを参考にしておりますが、私の
  書き間違い、勘違い…その他諸々の誤りが
  多分、きっと…いえ絶対に、出てくると思います(-ω-;)
  自分でも気を付けて記述して行くつもりではおりますが、
  間違いにお気付きになられた方は、
  お手数でもコメント欄にて、ご指摘・ご教示いただけると大変助かります。
  不特定多数の方がご覧になる可能性があるので、
  誤った情報を広めないためにも、どうかご協力くださいますよう
  伏してお願い申し上げますm(__)m


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コメント 20

sasasa

本当に線路跡を利用して作られた道路ってすぐわかるよね。
特に、カーブのとこなんて、まさに・・・て感じだもんね。
街によって考え方とか違っているんだね。
前記事にあった場所は、ちゃんと残しているのに、
この街は、特に何もなかったりね。
全て保存というのは、色々お金の問題とかもあって難しいけど、
前記事のところみたいに、「ここに駅がありました」みたいな、
標識ぐらいは、あってもいいような気もするなぁ・・・。
by sasasa (2008-05-18 05:27) 

miyomiyo

取材に手間暇かかってますね~。
エネルギー使ってるのがわかります。
by miyomiyo (2008-05-18 15:07) 

ルッコラ

雄物川橋梁、どんなのだったんだろうね…。
跡って、なにか感慨深いものがありますね^^
by ルッコラ (2008-05-24 21:51) 

二兎丸

●sasasaさん
 いかにも廃線跡を転用したって感じの道だよね。
 元々は軽便鉄道だったらしいから、
 今ある道よりずっと幅は狭かったと思うけど。
 史跡保存に関しては市町村によって本当にマチマチ(泣)
 合併して一つの市になったんだから統一して欲しいもの…。
 北海道は廃線跡がいっぱいあるから、そういうの探して見るのも一興かも。

●miyomiyoさん
 ね~。もぅ、ちょうど一年ほど前のコトだから大分“大変だった感”が
 薄らいじゃっているけど(爆)、自分の興味の赴くままにしているコトって、
 結構“大変”とか“しんどい”とか思わずに出来てしまったりしますよね。
 コレの取材はまさにそんな感じでした。

●ルッコラさん
 実際に見たコトは実はないんですよ。
 なにしろ二兎が生まれた時は既に流された跡だったもので(笑)
 雄物川橋梁の下流の道路橋『大上橋』が昭和50年頃に台風で
 流されて、途中から無くなってしまったのは記憶にあります。
by 二兎丸 (2008-05-24 22:21) 

二兎丸

nyanちゃん、Nicoli♪さん、takagakiさん、
宗男氏、nomusanさん、TOMOさん、
xml_xslさん

いつもご覧くださってありがとう(ΦωΦ)ノ♡
by 二兎丸 (2008-05-24 22:30) 

ロボッコ

(●>∀<●)ノ ヘロー!!二兎丸ちゃーん♪
おひさしぶりん♪
ほんと線路跡を利用して作られた道路ってすごいい!!
道も奥が深いにゃ~♪寝転がって耳当ててみると
( ●≧艸≦)  電車の音が聞こえてくるかもだよん♪にゃは
by ロボッコ (2008-05-25 08:40) 

Ranger

このシリーズたのしいね^^
今回も、読みながらに探検させてもらいました^^
by Ranger (2008-05-25 09:54) 

二兎丸

●ロボッコさん
 や~ん♪ロボちゃんお久しぶり~♪♪
 この先、もっと奥深い道になっていくの。
 また遊びに来てね(>ω<)ノ

●Rangerさん
 いつもありがとうございます^^
 この探検、まだまだダラダラと続きます(爆)
 また遊びに来てくださいね(ΦωΦ)ノ♪
by 二兎丸 (2008-05-25 23:52) 

BRIC−A−BRAC

みんな同じ日?
時間も
光もバラバラなかんじ

そうそう
こんな
橋脚の景色がいいんだよね
by BRIC−A−BRAC (2008-05-29 22:15) 

二兎丸

●BRI氏
 遅くなってごめんね。

 さすがご明察!!
 ココの写真は、三回くらい行って撮りなおしてるかな。
 上手く撮れてなかったり、場所を見つけられなかったりしたから。
by 二兎丸 (2008-06-16 00:36) 

二兎丸

nekokawaさん、たろちん、calちゃん、
きむたこちゃん、manzoさん、
ぽんこしゃん、ペンタさん

いつもご覧くださってありがとうございます。
遅い御礼でごめんなさいm(__)m
by 二兎丸 (2008-06-16 00:48) 

MORIHANA

二兎ちゃん、コンニチハ (ёvё)ノ
お里は地震の影響、なかったでしょうか?
ニュースで新幹線こまちをみて、なんとなく、
二兎ちゃん、どーしてるかな? って思ってました。

うちのblog、アナログだと重いでしょ。
この間、光が使えなくなって久々にアナログに
つないだら…自分で見るのも大変だった。
ごめんね。いずれ、もうちょっと何とか、しないとだめですね。

by MORIHANA (2008-06-16 13:29) 

二兎丸

●MORIHANAさん
 お元気でしたか~(>ω<)ノ♪
 地震は大丈夫だったよ。ママンや友達の話によると
 「すんごく揺れた」けど、秋田側は殆ど被害なかったの。
 宮城や岩手側で被災された方々は、梅雨入りの影響で
 土石流の恐れがあったりで心配…。
 あの辺は気軽に遊びに行く場所なので余計にね。

 光でも開かないソネ風呂だから(泣)
 MORIHANAさんのトコだけじゃないよ~。大丈夫、大丈夫。
 東京にいると自分のblogすら開くのに5分以上かかるもの(大泣)
 社宅に光が入れられるようになったから、
 こっちも光にしたいけど、相方が「いらない」って言うから
 まだまだアナログなの(TωT)
by 二兎丸 (2008-06-20 16:31) 

しろくま

二兎丸さんこんにちは。
いやー、力作ですね。
橋げたしか残っていない橋に、田んぼの中に消えた線路・・・。
兵どもの夢の跡という感じ・・・。
by しろくま (2008-06-22 17:35) 

二兎丸

●しろくまさん
 本になったり、もっとマニアな方がきちんとまとめられたHP等もありますが、
 自分の足と目で確かめたくて、今のうちに廻って見ておかないと、
 きっともっと分からなくなっちゃうなぁ…と、思って車を走らせた日々でした。
 ホント、仰るとおり、兵どものナントヤラ…って感じです。
 終点までまだまだ続くので、お付き合いくださいね。
by 二兎丸 (2008-06-23 00:36) 

なおじん

7月21日の海の日に横荘線跡を歩くウォーキング大会が開かれる
そうです。コースは二井山(雄物川)から台山(東由利)までの
12キロだそうです。
by なおじん (2008-06-29 20:29) 

二兎丸

●なおじんさん
 そちらでの生活は落ち着かれましたか?
 あちこち色々と探索されていらっしゃるようなので、
 きっと大丈夫!と信じておりますが。

 数年前にも沼館の“舘の井酒造”さん主催のウォーキングがあったと
 記憶しております。(舘の井さんは残念ながら最近廃業なさったとか…)
 おそらくこのブログの次回の記載から先がコースなんでしょうね。
 台山までだと終点・老方をかなり通り越しちゃうけど、
 グランドで東由利特産地ビールと、牛とフランス鴨のバーベキューでも
 やるのかしら??
 

by 二兎丸 (2008-07-06 15:51) 

二兎丸

tishi998さん、ひよままさん、
遊びに来てくれてありがとう(ΦωΦ)ノ♡
by 二兎丸 (2008-07-06 16:08) 

りょーたろー

はじめまして!
横手市に住む高校2年生です。

横荘線のことはおばぁちゃんに聞きました。
ちょうど浅舞から雄物川に伸びる道が
昔線路だったことを聞きびっくりして調べようと思いました。
すごい詳しく調べられていてとても参考になりました。

もう少し横手市も歴史関係のことに 
力を入れてほしいです。

by りょーたろー (2010-03-25 22:35) 

二兎丸

りょーたろーさん はじめまして。
ご覧くださってありがとうございます。

二兎が横手市で高校生をしていた頃は(遠い目…)授業中に
「オラ高校の頃は“横荘っコ”でガッコさ通ったもんだ。」
と昔話を披露してくださる先生方がまだ現役でした。

秋田から離れて、時が過ぎ、
今辿っておかないと、どんどん痕跡が失われてしまう…
そう思って、廻れる限りの場所を辿りました。
私の場合は幸いにして、昔していた仕事の関係と、
終点地に親戚がある関係で、話を聞かせていただいたり、
土地勘があって一人でも辿るのに苦労しないで済みました。

旧郡市の頃は、ご覧の様に自治体によって力の入れ具合が
マチマチでした。平鹿郡が合併し“新横手市”になって
4年が過ぎましたが、どうも文教関係には力を入れる気配が
無いようですね。
行政もコスト意識を強くしなければならない昨今、
お金にならない物はサッサと切り捨てられてしまうのでしょう。
気概のある学芸員や職員も、能力と関係の無い部署に転換され
たり、見切りをつけて辞めて行かれた方もいます。残念な事です。
遺す事で、観光資源になったりする物もあると思うのですが…。

こうなったら、大変ですがりょーたろーさんご自分で調べて、
もっと横手を知って、もっと横手を好きになってください。

しばらく秋田に戻らないので、秋田ネタはお休みですが、
また遊びに来ていただけるとありがたいです。
横手での高校生活、愉しんでくださいね。
by 二兎丸 (2010-04-02 12:29) 

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