唯一(?)残された建物【羽後交通・横荘線2】 [白兎鉄子の部屋]
みなしゃま ごきげんよう
白兎鉄子でごじゃいましゅ♪
今日も 『にわか鉄子の部屋』 に、ようこそおいでくだしゃいました(・ω・)ノ
しゃて本日も、かちゅて、秋田県横手市に走っていた鉄道
“羽後交通・横荘線”のお話をいたしたいと思いましゅ。
今回の記事が初めの方は、
どうかコチラの記事↓↓から順に目を通していただけましゅと、
とてもありがたく思いましゅ。
最初の記事>>> 『子供の疑問が大人になって…』
前回予告いたしました通り、
横手駅近くに唯一残っている横荘線の建物をご紹介いたしましゅ。
今回もレポートは現地の二兎丸さんがいたしましゅ。
では、今回もお楽しみくだしゃいませね(・ω<)♡
横手駅の東側(湯沢側)、横手機関区の転車台よりさらに東に進むと、
線路と道路に挟まれた古い建物が現れます。
これが横荘線の機関庫だった建物です。
現在は羽後交通の物置になっています。
正面から見るとこうなっています↓
今は更地(?)になっている手前には、かつて線路が引かれ、
列車が出たり入ったりしていました。
この写真は去年の春のもの。この場所は羽後交通の私有地なので
本来なら、勝手に入ることは出来ないのですが、
偶然、写真を撮りに行った時に、
この場所を横手市が秋田国体の臨時駐車場として借り上げており、
砂利を敷いての整地作業中で、現場にいた公園整備課の方にお話して、
敷地内に入らせていただき、外観の撮影をしてきました。
建物を拡大すると↓
左から三つの大きな扉があり、中に列車が納まっていました。
(手前の工事車両と比べると扉の大きさが分かると思います)
当時のままの外壁を残しているのはこの正面だけのようです。
(かなり老朽化(廃線してから37年経過)しているのですが、
もしかすると、こうして写真を撮りに来る人がたまにいるので、
この正面だけは外壁をそのままにしているのかも??)
入れなかったので確認出来ませんでしたが、
もしかすると北側(線路側)も古いままかもしれません。
遠くから写してみたのですが、解像度が低くて分からないですね
(失礼。いつかリベンジ画像をUPしたいと思います)
黄色の↓が機関庫です。
再び南側から写したものです。
後ろ側(東側)のサッシは多分後付けではないかと…
昔の写真を見ると、
この機関庫のすぐ前に貯水タンクや車庫、
運転手や機関士達の詰め所、
古くなった貨車を流用した物置などがあったようです。
そういった建物だけで、他は田んぼだったこの場所も
時の流れの中で変わり、今では住宅街の一角になってしまいました。
線路を辿って来る代わりに、
全く違う経路で道路からアクセスするようになっています。
かなり古い建物ですが、
ご覧の通り入り口のあたりなどを補修してもいるので、
しばらくはこのまま残って行くのではないでしょうか…。
羽後交通に取材したわけではないので、
ハッキリしたことは申せませんが…。
※JTBキャンブックス『私鉄の廃線跡を歩く I 北海道・東北編』2007年8月発売では
>以前は木造の建物があったが現在は取り壊されて無くなっている…
というような記載がありますが、ご覧のように機関庫は健在です。
横手駅周辺に残された建物をご紹介しました。
次回はいよいよ線路の跡を辿り始めます。
次回の旅はこちら>>>『こんどこそホントに出発です(;>ω<)ノ』
さぁ、でわ次回も 『にわか鉄子の部屋』 ご覧くだしゃいね~♪
今回もお付き合いいただき、ありがとうごじゃいましたm(__)m
白兎鉄子でごじゃいました~。みなしゃま、ごきげんよぅ~(・ω・)ノ゛
●後悔やみ●
かつての勤め先でもっと色々取材しておくんだったなぁ…。
勤め先には、羽後交通・整備部のOB。出向先には羽後交通の課長。
他にも横手機関区に勤めていた人、などなどなど…。
色んな事を質問できる存在が近くにいたのに、
あの当時は道を探すことには熱中しても、
横荘線について『書く』なんて思いもしなかったから、
何にも聞かずにしまったヨ(TωT)
なんと勿体ないことをしたもんだ。
●お願い●
記事を書くにあたり、
地元図書館に残された資料などを参考にしておりますが、私の
書き間違い、勘違い…その他諸々の誤りが
多分、きっと…いえ絶対に、出てくると思います(-ω-;)
自分でも気を付けて記述して行くつもりではおりますが、
間違いにお気付きになられた方は、
お手数でもコメント欄にて、ご指摘・ご教示いただけると大変助かります。
不特定多数の方がご覧になる可能性があるので、
誤った情報を広めないためにも、どうかご協力くださいますよう
伏してお願い申し上げますm(__)m
近くに旧国鉄の社宅があったので、転校はそこの人達が多かったなぁ。
今はご多分に洩れず、マンションになってます。
by よっきー (2008-02-18 09:57)
工事車両がちっちゃいんじゃなくて扉が大きいんだよね^^;
中がどうなっているのかな。空っぽ?
by 笙野みかげ (2008-02-18 13:21)
機関庫正面の『3』がいい味出してますねえ。
ちゃんと話して写真を撮らせてもらうって凄い事ですねえ
私はなかなか出来なくて…。
by poyo (2008-02-18 18:20)
うちの父親もあんまり記憶が無くて東由利の辺りまで来てた様な・・・
でした。
by なおじん (2008-02-18 20:38)
白兎鉄子めんこーいぞ♪
何度も見ちゃったロボでしたぁ♪
うふふ♪癒されるぅ~♪
by ロボッコ (2008-02-20 08:22)
ずいぶんふけたねぇw
by (2008-02-20 21:11)
木造があの当時を彷彿させます。 まだ残っているのが不思議な
くらいですね(^・^)
by aya (2008-02-21 22:25)
●よっきーさん
“転校生”って、なんかステキな響き(>ω<)♪
二兎丸の学校はド田舎だったので、転校生って殆どいなかった。
今、社宅って大抵そういう感じだねぇ…。
うちも、とりあえずこの春で取り壊しという話は延期になったけれど、
ココにあと何年いられる事やら(-ω-;)
●笙野みかげさん
そうそう、扉の方がおっきいの(笑)
この工事車両だって普通車に比べたら大分大きいの。
トンネルに行った時は感じなかったけれど、この扉の前に立ったら、
軽便鉄道とは言っても、結構大きいモノなんだなぁ…って、思ったよ。
中はね、ホントに単なる物置(爆)
●poyoさん
なぜか全部『3』なのよね。コレ。
全く知らない人でもなかったので、つい( ̄▽ ̄;)
まぁ、ココなら地元なので、市役所も羽後交通も話通そうと思えば
知り合いの一人や二人はいるし…。
「他所行っても出来るか?」って、言われたらムリ(笑)
●なおじんさん
…そうでしたか~。もしかすると、横荘東線よりは
西線の方がお馴染みかもしれないですね。
我が家は、祖母も母も東由利出身なもので。
いずれの記事で、二人の横荘線の思い出話なども書きたいと思います。
●ロボちゃん
受けてもらえてシアワセ(>∀<)♡
うさだも「変装した甲斐があった♪」と申しております(笑)
また続きも見てね(Φω<)♪
●ふじかわさん
そうなのよぅ。
もうね、化粧で誤魔化せなくなってきたわ~(違)
●ayaさん
バスの整備工場の建物もコレと同じくらい古いの。
ただ、あっちは毎日稼動してるけど、
コレは本社や工場からずーっと離れた所で物置だから、
ホント、よく残したなぁ…って、思います。
by 二兎丸 (2008-02-22 00:14)
ペンタさん、manzoさん、たろちん、
きむたこしゃん、nomusanさん、sacoさん
ご覧くださってありがとう(Φω<)♪
by 二兎丸 (2008-02-22 00:18)